第21回「黄昏れるのか」-中村一正氏の連載コラム「キャリアを考える」

リクルートエグゼクティブエージェント 中村一正氏の連載コラム「キャリアを考える」

[中村氏より]
エグゼクティブ領域の紹介事業に携わるようになり15年目。
最初の9年間は縄文アソシエイツ、ハイドリック&ストラグルズと純粋なヘッドハンター。
そして今はリクルートグループにいますので、リテーナー以外にも、成功報酬型でのサービスも提供できる状況で6年目。
この連載は、そんな私が日々残している、クライアント企業や、キャンディデートの方々との面談メモをベースに、企業名、個人名が特定できないよう配慮しつつ、記述させて頂いております。

第21回「黄昏れるのか」

新卒は大手金融機関、そして現在は成長企業の役員をされている方との話から。

「若かりし頃にご縁を頂いた本当に数多くの先輩やお客様の姿を通じて、人生ピンコロと決めていました。つまり、いくつになっても元気に山を登り続けて、途中でコロッと死ぬと言うのが私の理想なのです。それは別に企業の大小とかではなく、所属する会社の目指すべき方向に対して、自分としては全身全霊で働いているという実感を持ち続けたいと言うことです。

当然、年齢を重ねるにつれて、心身ともに衰えてくるかもしれないけれど、それでも前を向いて、一日一日額に汗して歩いているような実感がある場に居続けたいと言う思いは、30歳、35歳、40歳と節目を超えるごとに、より強くなることはあっても、薄れることはありませんでした。つまり、黄昏(たそがれ)ることだけは受け入れたくないと。

前の会社では40歳代の半ばで、役員になれないメンバー、つまりそこまで第一選抜で来ていても最後に選抜に漏れた所謂役員一歩手前の部長職の人間から、名刺上いろいろな呼称は付けていても実質昔で言う係長にもなれなかった平社員の人間まで、同期入社を一同に集めて俗に言う「黄昏研修」と言うのを受けさせられます。そこで何を学ぶか、何を考えさせられるかと言うと、出世だけが人生ではないとマインドセットを変えられて、まさに仕事や人生自体を再考する機会を貰うわけです。

そこから50代前半のある年齢までの間に提示される出向先やグループ会社へ順次出ていき、そこから数年で年収は半分になる。そしてその行った先でもルールに従い60歳代前半のどこかのタイミングで会社を離れざるを得ない。そんな人生は流石に自分には受け入れ難かったのです。

諸先輩や同僚の中には、お前のこれまでの経歴だったら、出向先は相応の会社が用意されるはずだから報酬だってそんなに下がらないし、長い目で見たら相当なレベルまで上がることだってあるのだからと言ってくれる人も多々いましたが、体がその研修そのものを拒否したのだと思います。つまりエンドが決まっていること自体が自分の人生観には合わないわけです。

今の仕事ですか。大変ですが、楽しいです。特に会社の基盤整備が終わって、今は社長と一緒になって更なる事業拡大の為に日々走り回っているので、それはそれで新人の頃みたいに社長に怒られながらですが。70、80まで働けるかはわかりません。けど、今の時点でエンドは決まっていませんから。」

こう書くとまるで私がいたずらに転職を進めているようですが、新卒時に入った会社の縁の中でビジネスマン人生を全うされる方とも数多くお付き合いさせて頂いておりますし、そう言う方々の中で管理部門の責任者をされている方から求人のご依頼を頂くこともありますので、あくまで本編、一つの考え方として。


中村一正

(株)リクルートエグゼクティブエージェント シニアディレクター
1984年野村證券入社、中堅企業営業及び社員研修の企画運営に従事。その後外資系生保会社へ転じ、組織拡大と生産性向上に尽力。退職時は同社最大の直販部隊のヘッド。
2001年以降、日系大手サーチファームである縄文アソシエイツ、2008年、外資ビッグ5の一角であるハイドリック&ストラグルズ、2010年5月よりリクルートエグゼクティブエージェントと、一貫してエグゼクティブサーチ業界。小売・サービス、消費財を中心に、業種的にも、また企業ステージとしても日本を代表する著名大企業から、オーナー系中堅成長企業、未公開新興企業等々、広範囲に対応。