伊能忠敬測地遺功表
当社にほど近い芝公園内の丸山古墳の頂に、その碑はある。
日本全国を測量し、はじめての日本地図を作った伊能忠敬の功績を称えたものだ。
伊能忠敬は千葉県の佐原の名主であったが、当時の平均寿命に近かったであろう49歳で家督を長男に譲り、50歳になってから天文学を本格的に学ぶために江戸に出た。
そして55歳の時に「隠居の慰み」と言いながらも幕府に測量調査を申し出て、都合10度にわたる測量の旅に出る。
測量を終えるのに費やした時間は実に17年。歩いた距離は地球一周とほぼ同じ4万キロメートルと言われている。
その後、地図の作成が開始されたが完成を待たずに忠敬は73歳の生涯を閉じた。
そして地図が完成したのはさらにその3年後1821年7月10日のこと、江戸城大広間で広げられた地図は6000分の1の大図214枚を含む途方もない大きさのもので、その正確さは後のイギリスの測量船アクテオン号の技師たちを仰天させるほどだったという。
江戸時代に歩測だけで日本全国を測量し、ついには日本最初の実測地図「大日本沿海輿地全図」を完成させた伊能忠敬は、まさに不可能を可能にした人物として知命塾の授業の中でもエピソードとして伝えている。