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[CASE2]幸せの基準を見直して東京から和歌山の企業へ
大手メーカーから中堅中小企業へ
Aさん(50代男性)の場合
和歌山市の自宅から勤務先へ出勤する朝、Aさんはふと疑問に感じることがある。
「前職(大手電機メーカー)に勤めてい頃は、なんで1時間も満員電車に揺られていたのだろう? 時々そう感じます。いまは自宅から会社まで車で5分。楽ですよ、全然。出張で横浜へ行ったとき、『人が多いな』って思いました」
いきなり知らされた役職定年
大卒で大手電機メーカーに入社後、電気設計者として映像やオーディオ部門で商品開発に30年以上携わってきた。
40歳頃から開発部門の課長・商品設計の部長を務め、50代前半で品質保証部門の部長に就任。
50代も半ばを過ぎた頃、会社から突然、役職定年の発表があった。
当時のAさんにとって、役職定年までに残された年月はわずか。
以前、部下に退職勧奨をした経験もあるAさんは、セカンドキャリアについて考え始めた。
「役職定年って本人にとってみれば会社から『辞めていいですよ』と暗に言われているようなものです。それならば『来てほしい』と言ってくれるところで働きたいと思いました」。
転職活動を本格化させ、早期退職制度を活用して半年後には大手電機メーカーを辞めようと考えていた。
ヘッドハンティング会社に履歴書を送り、転職サイトに登録。一方で「セカンドキャリアでは、これまでに携わってきたものづくりと違う仕事をしてもいいかな」と、会社から紹介された知命塾に通い始める。
価値観の視野を広げたら、一気に好転
知命塾のカリキュラム通じて、自分の能力や志向性の棚卸しと、可能性の拡大を考えはじめた頃、仕事は東京にこだわらず、新しい土地を楽しむという考え方の転換を促す講義を受けた。
「幸せの基準を変えよう」というテーマの講義だった。
それから数週間で和歌山県の中堅中小企業からオファーが届く。
初めて訪れた和歌山で面接を受けると、1週間後には内定が出た。
とんとん拍子で新天地が決まり、知命塾に通いはじめて3ヶ月後には開発本部長として迎え入れられることになった。
転職先の企業は社員400人弱で、産業用機器分野において大きなシェアを持つメーカーだ。
実務を的確にこなすことのできる社員はたくさんいる一方、組織をマネジメントできる人材が不足していた。
しかし同じものづくりと言っても、これまで扱ってきたものとは全く違う分野だった。
「扱ってきた製品の経験領域は違ってもいい。大手の会社でものづくりの現場マネジメント経験のある方に、ぜひ来てほしい」
Aさんの胸にこの一言が響いた。
前職企業の製品は民生用、転職先企業の主力製品は産業用という違いこそ有るが、組織づくりという点で自分のマネジメント能力を発揮できる。
何も大手電機メーカーと同じ分野の製品を扱う会社に拘る必要はない。さらに、取るべき戦略がまるで違い、新たな世界に身を置ける点も魅力だった。
給料は前職よりダウンしたものの、「下がり具合は想定よりずいぶん少なかった」。提示された額を見て、「大きな期待をかけてくれているんだなと思ったので、ここで働こうと決めました」。
飛び込んだ新天地での充実した日々
入社して半年が過ぎた頃、転職した喜びを一層大きく感じるようになった。
プロジェクトの体制を作る上で、「組織の動き方をこう変えたほうが、うまくいくだろう」と実行したことが、効果として見えはじめたからだ。
もちろん、まだまだ課題は有る。だが社内にやるべきことがたくさんあるからこそ、自身がやってきた意味があると感じている。
「以前働いていた大手電機メーカーもいい会社だったので、そこから出る不安はありました。でも一度飛び出ると意外になんとかなるものです。案ずるより産むがやすし、ですね」
新たな職場に身をおいたことで、「以前の会社はシステムやプロセスがしっかりしている」と再確認することもできた。
新天地で必要とされる喜び、そして自分の力を活かせるという充実感があるからこそ、Aさんは現職の仕組みづくりに心血を注いでいる。
そこには、役職定年による仕事への物足りなさや会社への不満はまったくない。真逆ないきいきとした姿だ。
出典:日本経済新聞出版社「あなたは、今の仕事をするためだけに生まれてきたのですか」より抜粋改編