75歳まで元気に働くための『40歳定年制』Vol.3

東京大学大学院経済学研究科・経済学部 柳川範之氏インタビュー

――現代の急激な産業構造変化のなかで、みんなが75歳まで働ける世の中をつくるためには、労働者が技能や知識の再習得を行い、自分のスキルを陳腐化したままにしないことが必要だということですが、以前はそれを企業の中で行なっていたのではないですか?

柳川 そうですね。産業構造の変化に対して、日本は、伝統的に企業の中で処理してきました。ひとつは、前々回に言った人の入れ代わりによる対処です。また、部門が衰退すれば成長部門に人を移し、必要があれば教育訓練をしてきました。企業内で人をうまくまわして産業構造調整をするやり方は、日本企業の強みともいわれましたが、その通りです。ただし、そのやり方が通用するには条件があります。ひとつは変化のスピードが遅く、あまり大きくないこと。そして、社会が成長期にあることです。しかしながらいま起きている変化は非常に速く大きく、また、いまはどの企業も社内の教育訓練に莫大な予算をかけるのは難しくなっています。既存メカニズムには限界があります。

――労働者は、大きな企業で働いているから安心、このままでいいというわけにはいかないということですね。思う以上に大きな問題が起きている、と。

柳川 残念ながらそうです。どんな大企業、有名企業であってもリストラ、倒産の可能性はいつでもあります。ある程度リスクを負った企業行動をとらないと、国際競争に勝てないという面も大きくなっています。

長期的な雇用関係には利点も多い。日本的な雇用の良さを明らかにした労働市場のモデルがあります。『終身雇用、年功賃金、定年制』の3点セットが労働者のモラルハザードをコントロールできるとする、とてもキレイなモデルですし、非常に優れた理論です。このモデルの中では、年齢を重ねると労働者の実質的な生産性よりも、賃金のほうが上になります。若いときは安い賃金で頑張るわけですが、これは社内貯蓄をしているんですね。歳をとったときに、実際の生産性に見合う以上の賃金をもらってそれを回収するわけです。

うまくつくってあります。でも、それにも条件があります。労働者に問題がない限り解雇されないということと、会社が潰れないということです。潰れたりリストラされたりしたら、貯蓄がパーになるわけです。しかし、現実的にはその条件は明らかにもう成立しません。長期的な雇用関係と長期的な雇用保障の間には、現実的にかなり大きなギャップがあります。ですから、会社がうまくいかなくなっても、潰れても、安心して働けるという状況をつくっていかなければ、本当の意味で労働者は安心できません。

――企業には頼れないと。

柳川 社会的にも、産業構造調整を企業に頼るのはもう難しい。労働者も自分の能力の陳腐化を防ぎ、自分が実現できる生産性をあげることを、自分自身で行なうことが必要です。働き方、学び方、コミュニティ、そしてアイデンティティの再構築を、会社に頼らず行なえる仕組みが必要です。

――難しさは?

柳川 難しさはあります。たとえば、アメリカでは多くの社会人が学びなおしをしているし、母親になってからスキルアップすることも当たり前です。しかし、日本では高校や大学を卒業して就職したら学ぶ場は企業の中だけになってしまいます。再就職や転職にも大きな抵抗があります。また、日本では、会社が単に給料を稼ぐ場所ではなく、自分にとって最も大きなコミュニティであり、アンデンティティの帰属先になっているケースが多い。それはもちろん悪いことではありませんが、これからは、それが会社だけにならないようにしていかないといけない。つまり考え方を大きく変えないといけないということです。

とくに、働き方、学び方の再構築については、強く意識し、積極的に取り組んで欲しいと思います。10年後には能力が通用しないかも。20年後には会社がないかも。そういう意識で絶えず自分のスキルをバージョンアップし、そのスキルにあった場所で働くという働き方です。世の中が求めるスキルがどんどん変わっていくのですから、スキルアップしていけば、自分にとってベストの働き場所も変わらざるを得ません。それが会社の中にあるとは限らないし、むしろ会社の外に自分の能力を発揮できる場所があるということがしばしばあるのがこれからの世の中です。ずっと同じ会社で働く、他の可能性には目もくれないということでは、スキルの陳腐化にはとても対応できない。そこから離れて、縛られないで、新しい働き方、人生設計をしていかないと生き抜いていけません。難しいことですが変えていかないと、社会も持たなくなっているのです。強制的にでもやらなければ、クライシスがおきます。

――社会の仕組みの再構築も必要ですね。

柳川 何歳になっても新たな能力開発、教育を受ける機会が確保されていて、それによってさまざまなチャレンジができて、何歳になってもその年齢にあった働き方、働き場所をみつけることができる。そのような社会を実現させる必要があります。そうなれば、必然的に失業が失業として終らず、新たな能力や技能を身につける機会となるような社会となるはずです。イメージとしては、単なるセーフティネットではなく、落ちても弾んで上にあがれるトランポリンのように、新たな職場に復帰できる社会を実現するための制度的枠組みができることが理想です。ひとつ提案したいのは、雇用契約についてです。すべて正規の有期雇用契約にすることを基本にして、期限の定めのない雇用契約については20年の雇用契約とし、それ以外の長さが必要な場合は有期契約としてはどうかと。

――20年の雇用契約ですと、40歳くらいで一度仕事を見直すことになるわけですね。

柳川 そうです。もっと多様性のある働き方にしていくべきだし、多様な雇用契約を結べるようにしていく必要があります。その考え方を象徴するフレーズとして、私は『人生を三毛作で生きる』という言葉を掲げています。たとえば20歳から40歳、40歳から60歳、そして60歳から70歳というようにステージを分けて働く。つまりは、“三毛作”の働き方ですね。そうやって、能力開発をしながら、長く働く、長く生産力として社会に貢献できるようにしていくべきなのです。もちろん、いますぐ変わるわけではありません。逆にすぐに変わっては大変です。最終的にどういうシステムにするのかということと、移行プランは分けて考えないといけません。

――現実的にいま働いている人がすべきことは?

柳川 メインの仕事をやめずに、新たなスキルを習得したり、サブの仕事を少しずつつくっていくことです。ひとつのステップとして、『バーチャルカンパニー』をつくってみると良いでしょう。起業が実現できなくても、目指すことにも意義があります。自分の能力や市場性を客観的に評価したり考えたりするきっかけになりますから。もちろん、本業を優先させながらでいい。無理なリスクは負わず、起業を目指す場合はバーチャルカンパニーに見込みが出てきたときに、重点を少しずつ移していけばいい。能力開発については、いままで培った技術や知識を活かすことも大事ですが、そのまま通用すると思わないほうが良いでしょう。1、2年かけて能力開発をしていくぐらいの心構えで、現状の延長線上で新たな仕事に必要な能力を身につけていくのです。

――労働者側だけのアクションや意識変革だけでは実現は難しいのではないですか?

柳川 その通りです。会社側もバーチャルカンパニーのようなアクションをサポートすべきです。社員の副業も積極的に認めるべきです。終身雇用が維持できない以上、社員に外でも生きていける能力を身につけさせることは雇用側の責務です。また、それを支援することは会社にとってもプラスになります。バーチャルカンパニーや、会社の外でも通用するようにと身につけられた知識や能力は、会社での本業にも役立つことが多いはずです。

これからは仕事を掛け持ちする時代。それくらいの発想の転換が必要です。とにかく、何もしないのでは、可能性も生まれません。日本の労働者は優秀です。多くの技能・知識を身につけている方が多い。しかし、その能力が発揮されていない方も多いというのが正直な印象です。とくに中高年の方は、能力を持て余している。もったいないことです。たとえば、5年後に自分の定年がくると考えてみてはいかがでしょう。そこにはまだまだやれる自分がいるはずです。もう一度ポジティブにしっかりした未来像を持って働いてほしいと思います。

2015年12月22日公開


柳川範之
東京大学大学院経済学研究科教授
1963年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。経済学博士。現在、東京大学大学院経済学研究科教授。
著書に『独学という道もある』(ちくまプリマー新書)、『法と企業行動の経済分析』(第50回日経・経済図書文化賞受賞、日本経済新聞出版社)、『元気と勇気が湧いてくる経済の考え方』(日本経済新聞出版社)、『日本成長戦略 40歳定年制』(さくら舎)などがある。