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山形と東京と、世界を相手にするニットの仕事 米富繊維株式会社 ブランド Coohem(コーヘン)を展開する企業です

time 2016/12/19

山形と東京と、世界を相手にするニットの仕事 米富繊維株式会社 ブランド Coohem(コーヘン)を展開する企業です

ファクトリーブランド〈Coohem(コーヘン)〉

山形県のニット産業は、素材や編地開発からの製品作りにかねてから注力し、山辺町を中心に産地内一貫生産方式を先駆けて導入。高品質な製品力を武器に、その名を全国へ広めてきた。

90年代頃から、安価な海外製品が市場に押し寄せるようなり、厳しい状態が業界的には続いているが、世界品質のニットで独自の路線を行く企業が点在し、今回こちらで紹介する〈米富繊維株式会社〉も、山形のニット業界を牽引してきた企業のひとつであり、2010年には自社のファクトリーブランドを立ち上げるなどして、国内外からの注目を集めている。

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ブランドは〈Coohem(コーヘン)〉。その名前は、素材や色、太さの違う糸で織物のように仕上げる「交編(こうへん)」という用語に由来し、また、その商品は、1952年より続く同社の歴史の中に蓄積された膨大な数のテキスタイルをベースに、今の時代感を取り入れた高いデザイン性で評価されている。

このブランドを立ち上げたのは、同社の3代目であり、現代表取締役社長を務める大江健さん。同社の社長として、そしてブランドのディレクターとして、山形と東京を頻繁に行き来する日々を送っている。

30歳で山形に戻り、同社に入社した大江さんは、当時からひとつの思いを胸に抱いていた。“僕ならば、会社の技術をカタチにできる。こういう商品を作れば、このお店に置いてもらえる”。大学卒業後は専門学校でマーケティングやデザインを学び、また、セレクトショップという、生産の現場とはまったく異なる環境で働いてきた経験と培ってきた人脈から、さまざまな想像を巡らせていたという。

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かくして、大江さん単独による地道な商品企画や営業活動を経て、2010年に〈Coohem〉は産声をあげることになった。当時、米富繊維の業績はおもわしくなく、いつ止められるかという焦りを感じていたと言うが、一つひとつ営業と展示会を繰り返すなかで取引先も増加。2011年にはパリでの合同展示会に出展できる好機にも恵まれ、そこではブランドの技術力への評価と、取引についての問い合わせを受けた。

「あのとき、パリに行けたのは本当にラッキーでした。英語は話せない、資金も無い。でも、そんなこと考えている暇はなかった。失敗したら再チャレンジしようなんて体力は、自分にも会社にも残っていない。ブランド立ち上げから最初の3年間は、毎回なにかに勝負をかけていました」。

それから2年経った2013年3月に、〈Coohem〉は海外での合同展示会に本格的に参加することになるが、そこにはひとりの女性社員の存在が深く関わっている。その方が松岡奈緒子さん。同社の海外営業担当である。

 

海外営業担当としての仕事

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都内で2社のアパレル企業と、広告代理店での勤務を経て、2012年に同社へ入社した松岡さん。現在は、主に海外に関わる業務全般に携わり、大江さんとともに国内外を飛び回る多忙な日々を送っている。

華奢でやわらかな彼女の雰囲気とは異なり、その仕事は多く、多岐にわたる。 海外に向けては外国人相手の営業交渉はもとより、商品の輸出・管理、また、国によって異なる請求書(インボイス)の作成などをほぼ一人で担当し、国内でもシーズンごとのカタログ作成、商品企画の検討やアドバイス、メディア対応などと、簡単にあげるだけでも目が回るよう。

大江さんによれば、松岡さんは〈Coohem〉が本格的に海外進出をする上での原動力となった人物。それまでは一人でブランドの企画と営業をしていた大江さんは、アパレル、広報分野でのキャリアがあり、また語学も堪能な松岡さんとの出会いを機に、海外での展望を真剣に考えるようになったという。では、松岡さんはどのように感じていたのだろう。

 

東京で、山形の企業に勤める働き方

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「若い頃は東京でバリバリ仕事をしていたいという気持ちが強くて、1ミリも山形に帰ってこようとは思いませんでした。ただ、年齢を重ねて30歳くらいになると 故郷へ戻ろうかと一度は考えると思うものです。私の場合、ちょうどそのタイミングで両親が身体を壊してしまった。そのときに出会ったのが米富繊維であり、〈Coohem〉というブランドでした」。

東京オフィスでスタッフとしての採用だったので、海外ビジネスを立ち上げることになったとき、まさか外国人相手に仕事することになるとはと少々戸惑ったという松岡さんだが、同社で働くことで山形との行き来も増え、年に2度しか会わなかった両親と、少なくても月に1度は会えるという現在の環境に満足しているという。

「東京で、東京でしかできないような仕事をしていますが、本社は山形にあります。大江が山形にいるときは、スカイプなどを使ってミーティングをしています。だから、半分は山形にいるような感覚。また、月に一度くらいしか本社にいませんが、私も山形出身だからか、生産現場の皆さんとの距離もはじめから近かった。物作りをする上で、コミュニケーションはとても必要ですから、その意味でも恵まれていました。そして、山形で作られた商品で、東京で世界で勝負するのですから、とても有意義に感じています」。

結婚し、東京にいながらにして、自分のキャリアや能力を故郷・山形の企業で生かす。松岡さんの話からは、そんな働き方の可能性が感じられた。

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